私の親友が熊本・阿蘇で農業の仕事をしておりまして、地震が起きてから数回連絡を取っておりますが、最近になってようやく電気・水が通るようになったそうです。
今回、友達が
「場所によっては古い家が多いからね・・・」
と言っておりましたが、ウィキペディアで調べると、新しい耐震基準になったのは私が産まれる少し前の1981年。まだ30年ほどしか経っていないと考えると、震度7に耐えられない家がたくさんあるのは仕方のないことなのか。
幸い、友達の住んでいる場所は被害が少なく安心しましたが、地震がほとんど起こらなかった地域でいきなり、震度7に余震が数百回。これでは精神的に苦痛になります。 中には、家が大丈夫なのに車中泊をしている方もいると聞きました。
慣れない災害が起こるとどう対応して良いのかわからなくなります。早く元通りの生活を送れますように祈っております。
水害のときにはお世話になりましたので、常総市も頑張って支援物資を送っているようです。
それと、田舎特有の有線放送(スピーカー)で支援物資の受付を開始したと言っておりました。私も何か置いてこようかと思っております。
水害から半年以上が経過した現在、常総市を車で走らせていると、
「本当にここで2メートルも水が来たの?」
と信じられません。
この当時もいざ、ボランティアに行って、時間があるときに写真を撮ろうとしても、何だかためらって撮れなかったことを覚えています。
今見返してみるとこの写真を入れて、合計3枚ほどしかありませんでした。 記録を残すといった意味では写真を撮ることも大事ですが、なかなか被災者の近くでパシャパシャ撮るのは気が引けますよ。
なかなかそこら辺の線引きが難しい。 というか、最近の日本は被害者にも強く当たるようになってしまいましたね。 思いやりの心を忘れないようにしたい・・・そう思う今日この頃です。
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